執着を手放すと自由が戻ってくる

happyに生きるために

今朝、起きたら雨が降っていました。

夜更けから降り始めた雨がさっきまで降っていたようです。

窓を開けると、湿度を含んだ重い空気が満ちていました。

空はまだ低いけど、空一面に広がった灰色の雲は白い光を通し始めていました。

こんな曇り空の朝も、やっぱり大好き。

ベランダに出て、雨上がりを知らせる鳥たちのさえずりを聴いていました。

花の香りに包まれ、

雨上がりの鈍い光に包まれ、

優しい春の風に包まれ、

穏やかで満ち足りた朝。

一人だから静かで、でもとても豊かな朝です。

最初の子供が生まれた朝も、

これから子供と過ごす全ての時間への期待に喜び溢れていました。

あの朝から、子供たちと常に一緒にいること、

それを何よりも優先に考えて暮らしてきました。

時は瞬く間に流れ、

3人の子供たちも一人ずつ家を出て行き、

いよいよこの春に、最後の一人も出て行くことが決まってから、

私は息子と一緒にいられる日数を数え、

その全ての時間を抱きしめるように、

大切に大切に過ごしてきました。

時には、なかなか眠りにつけない夜があり、

時には、一緒に移り住むことも考え、

時には、昔の日々を思い涙ぐんだりして。

息子が旅立ったら、この広い家に一人残されて、

きっと泣いてしまうかも知れない。

もう二度と戻って来ないかけがえのない時間を、思い出を、温もりを

これ以上、記憶から消えないように願いながら。。。

息子が家を出る数日前のこと。

心に自然とある思いが湧き上がってきました。

私の心を子供たちに繋いでいた母性本能という執着。

私は、この執着を見事に手放してみせよう!

そう心に中で決意したのです。

とうとうその日。

息子を空港で見送り、車を走らせて家に戻る路上で、

突然、私はなんとも言えない感情に包まれました。

それは、数日前まで予想していた

寂しさや悲しみではありませんでした。

私は大声で叫んでいました。

「ヒャッホー!これから私は自由だ!」

なんとも言えない開放感と開放感がじわじわと胸に広がっていたのです。

誰もいない家に戻った私は、料理を作りました。

家族の為に作ることに慣れていた私が

自分だけのために料理を作る。これも新鮮な喜びでした。

子供のことを考えてしていた日々の買い物も、自分のためにする。

27年ぶりに取り戻した自由です。

最近は、家族のもので溢れていた家の中を少しずつ片付けています。

それまで大事だと思って取っておいた様々なものも

執着と一緒に手放しています。

私は、1920年代に成立した機能主義・合理主義のモダニズム建築が大好きでした。

でも、これまではそういうこともすっかり忘れていました。

一人暮らしになって初めて、この家がまさに私のツボであったことに気がつきました。

(いくらなんでもそこまで古い建物ではありませんが、建築家がモダニズムを意識して建てたように思います。もちろん私は新しい建築物より古さを感じるくらいの方が好きです。)

物を一掃したら玄関から物が消えました。

これくらい殺風景な方が私には心地良いのです。

玄関の正面にある階段の踊り場には、吹き抜けの窓があって、

ここはサンルームになっています。

雨が降る午後は、階段に座って本を読みます。

晴れた日はここから六甲山に沈む夕日を見渡せます。

気がつくと、ずっと望んでいた豊かな時間と静かな暮らしの中にいました。

執着は自分を縛るもの。

そして、孤独は執着と共にあるのです。

人生の中には、執着を手放さなければいけない時があります。

そういう時は、勇気を出してこう呟いてみて。

私はこの執着を見事に手放してみせる、と。

しがみつくべき執着なんて、本当は何一つないのです。

それを捨てると、心穏やかな自由が戻ってくるのです。

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